法話

変わらぬ教え

 令和2年2月の中旬頃であったと思います。私は御本山へ会議で訪れ、その際に京都市街へ寄る機会がありました。その当時は、ちょうど新型コロナウイルスの感染が拡大し始めた頃でした。あれほど外国人観光客などで溢れていた賑やかな京都の街中がガランとしており、今思い出してもあの異様な光景は忘れられません。あれから4年余りが経ち、現在は新型コロナウイルスの感染法上の分類が引き下げられ、それまで制限されてきた様々な生活体系が、少しずつ緩和されることになりました。ただ、完全にコロナ禍以前の日常生活に戻ることは、難しいように感じます。
 新型コロナウイルスの流行は社会に様々な影響を与え、今まで当然のようにやっていた事が、急に出来なくなるということが多々ありました。それは、私ども僧侶がお寺において法務を務めていくうえでも、同じように困難を強いられました。私が住持するお寺では、年間五回の定期法要を勤めておりますが、コロナ禍での約2年間は檀信徒の皆さんを招いての法要を勤めることは叶わず、寺族のみにての山内法要を勤めることしか出来ませんでした。したがって、檀信徒の皆さんへ布教する機会も自然と失われていきました。またこの間、葬儀や年回忌等の法事においてもコロナ禍以前とは様相が変わり、ごくごく身内で執り行う「家族葬」が主流となり、また法事にしても少人数でお勤めする機会が多くなりました。
 近年よく檀家の方から受ける相談で多いのは、「墓じまい」や「仏壇じまい」のことについてです。これらの現象はコロナ禍以前から徐々に増えてきていましたが、現在における社会情勢の不安なども相まって、益々増加傾向にあります。御先祖から代々続いてきたお墓や仏壇を、この先守っていくことに不安を感じる、或いは子供や孫たちにはなるべく迷惑をかけたくないとの思いが、そういった現象を招いています。ひと昔前までとは世の中の文化習慣が変化してきており、これにより若者のお寺離れも進んでいるように思われます。

 このような世情において、我々僧侶が布教していくのは大変難しい時代となりつつあります。しかし、歴史を紐解いてみますと、往古より世情は常に不安の中にあります。宗祖法然上人が立教開宗に及んだのは平安末期、まさに世は乱れた末法の時代でありました。以来、850年を経た今日まで、平和な世が久しく続いたということは稀であります。どの時代に於いても、災害や飢饉は止むことがありませんでした。また、新型コロナウイルスのような疫病も、幾度となく流行しています。更には、政変や国内外での戦争も起こり、国策に翻弄された時代もありました。そのように移り変わる世の流れの中で、法難というものが何度もおとずれたであろうことは、安易に想像出来ます。その都度我々の先人諸師たちは、その時代に即した形で、宗祖のお念仏のみ教えを多くの人々に布教してきました。


 世の中は常に移り変わり、時代は動いております。ただ、どの時代においても、我々凡夫は常に悩みをかかえながら生きています。私たちは幸い、宗祖がお勧め下さったお念仏の教えを頂いております。850年を経ても変わらぬ尊い教えを、より多くの方々に布教伝道していくことが、我々の使命であると思います。


令和6年3月
「ひろたに 第36号」にて掲載

 

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