西生寺縁起


 西生寺は、康正2年(1456)に創建された浄土宗西山派の流れを汲む寺院です。
当寺開山である、等阿弥陀慧門大和尚は、山城国(現在の京都)の生まれで、姓を藤原と云いました。また、幼少の頃より鎌倉時代の仏師運慶作で奥州毛越寺本尊と同木同作の阿弥陀如来像を深く信仰していました。その仏像を本尊として、当山西生寺を開基したといわれています。
 当寺の山号「柳浦山」は、現在の地名である、「大里」となる以前の地名、「柳ヶ浦」に由来しています。大里は長崎街道の終着駅である事と、赤間関(現在の下関)まで船で往来するのに便利がよい事で、早くから宿場町として開けていましたが、江戸時代に入ると徳川幕府の政策による参勤交代制度で、さらに九州の諸大名(島津家、鍋島家等)が、宿をとる事が多くなりました。当寺も宿場町にあった関係上、諸侯の休泊を引請けることが度々ありました。
 現在の境内地は、元々細川小倉藩第2代藩主忠利の浜御殿(お茶屋)があった場所ですが、寛文3年(1663)に小笠原小倉藩第2代藩主忠雄の命により、大里宿場町内(現在の大里本町2丁目八坂神社前)にあった当寺をこの地に移し、その跡地には本陣がおかれました。
 藩政時代、幕府によって宗門改めの政策が布かれ、西生寺は企救郡における判行寺(踏絵寺)とされ、毎年3月に踏絵が行われていました。
 当寺本堂内には、信濃国守護職であった小笠原長時の弟、小笠原信定の霊牌が、安置されています。その他境内には、細川家の浜御殿当時の古井戸や、大里の浜で戦死した毛利家の家臣、福間元明の石碑が残されています。
 慶応2年(1866)の豊長戦争の際に当寺の本堂及び、堂宇の一切は焼失し、現在の本堂は明治16年(1883)に再建されたものです。







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