法話

有り難いということ

 昨年の暮れに、「大量の野菜が廃棄処分」というとてもショッキングなニュースが伝えられました。白菜・大根・キャベツ等の野菜が、全国各地において廃棄処分されたのであります。昨年の秋は好天が続いた影響で野菜が豊作となり、それに伴い価格が大幅に下落してしまいました。その結果、政府の政策により出荷制限が課せられ、数万トンにも及ぶ野菜が廃棄処分となった訳であります。廃棄処分されている映像をテレビのニュース等で見るのは、何とも心が痛む思いであります。また豊作を願い多くの手間をかけ、我が子のように大事に育ててこられた農家の方々にとって、その野菜たちを処分しなければならないという事は、見ている私たちよりも恐らく何倍も何十倍もつらい思いであることが想像されます。この事に関しては廃棄処分しなくても済むような政策に少しでも早く改善して頂きたいものであります。
 現在はまさに飽食の時代であります。私が生まれ育った頃は今ほどではないにしても食べる物に困ったことはなく、いつも十分に食しておりました。また高度経済の成長期ということもあり、新たに便利な物がどんどんと開発されていた時代でもありました。そんな中、私や弟は戦中、戦後に生まれ育った私の両親や祖母などから、常に物を大切にしなければいけないという事を口すっぱく言われてきました。戦後、物がない時代を生きてきた私の両親の世代の方たちは、よく「もったいない」という言葉を口にしますが、その方たちから見れば今の世はまさに「もったいない」ことばかりでありましょう。物が有り余っている現代の世の中で生活していると、ついつい「有り難い」という気持ちを忘れがちになってしまいます。そういう時に戒めてくれるのが先人方であり、その教えを受けた私たちは今一度「もったいない」、「有り難い」ということに対してよく考える必要があると思われます。

 私たちの宗門の御教えは、「歓喜のお念仏」を称えさせて頂くことから始まります。朝夕とお仏壇の前に向かい、如来様のお慈悲のもとで今生かされていることを喜び、お念仏を称えさせて頂きます。私たちが生きていく為に頂く食物は、多くの尊い命の犠牲のお陰により、成り立っております。これは食物だけではなく衣類や日用品等、私たちの身近にあるもの全ての物は尊い命なのであります。この多くの犠牲の上に成り立っている私たちの生活というものは、何ひとつ当たり前のものなどはなく、すべて「有ることは難し」なのであります。

 この機会にもう一度「有り難い」ということを感じていただき、感謝の日暮しをおくって下されば幸いであります。


平成19年1月
西山浄土宗西部青年僧の会HPにて掲載

 

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