法話

お礼の手紙

 今から、2年ほど前のことになります。あるお檀家さんの法事があり、ご自宅へお参りに伺いました。その日は、施主さんのおばあさんの五十回忌ということで、親族の方が集まっておられました。親族と言っても施主夫妻、そして子供さんやお孫さんなど、内々でお勤めを致しました。読経を終え一息ついたそのとき、お施主さんが孫娘さんに対して何かを促していました。実は10年ほど前にお施主さんは喉の病気を患い、今は声を出して会話をすることが出来ません。日常の生活では、筆談をすることにより、他人とのコミュニケーションをとっています。そのお施主さんに代わって、4人のお孫さんの中で一番年長である中学3年生の孫娘さんが、お礼の手紙を静かに代読されました。
 そのおばあさんは、今から124年前に竹馬川沿いにある曽根村(現在の北九州市小倉南区)というところから、大里村(現在の北九州市門司区)にいるおじいさんと結婚するために、馬車に乗ってやってきました。その後、おじいさんとおばあさんは五人の子供に恵まれ、おばあさんは一生懸命にその子供たちを育て上げました。5人の子供の長男にあたるのが、施主のお父さんになります。そのお父さんは、我が子(お施主さん)が2歳のときに急性心臓発作により、29歳の若さで急死してしまいます。その後、幼かったお施主さんと妹さんは、おばあさんの手によって育てられることになりました。幼い兄妹は、おばあさんのことを本当のお母さんのように思い、成長していきました。ある時は、親戚の叔母さんたちの家に預けられるなど周りの人たちのお陰もあり、元気に育っていきました。たくさんの苦労をされたおばあさんですが、子供や孫たちを育てるために忍耐強く生き抜いて、81年の天寿を全うしました。そしてこの手紙の最後には、この日お参りに来られた方へのお礼と共に、皆さんの健康と長寿を願う言葉が添えられていました。
 私は、孫娘さんが読まれるこの手紙を、目を閉じて聞き入りました。お孫さんたちにとって故人は見たこともない人ですが、その故人の生前のご苦労があって、現在の自分たちが存在します。故人を偲び、また生前の生き方を後の世代に伝え送ることは、大変尊いことでもあります。法事を勤めることは、こういった意義深いものであるということを、改めて感じました。

 暑い夏が過ぎ去り、ようやく心地よい秋の季節が訪れ、間もなくお彼岸を迎えます。「彼岸」とは、悩みや苦しみのないお悟りの世界である彼の岸、つまり阿弥陀さまのおられる西方極楽浄土を意味しております。それに対して、私たちの生きる苦しみ多き現世を「此岸」と言います。昨年より続くコロナ禍により、私たちの多くは今まで経験したことのない不自由な生活を強いられています。しかし、このような時であるからこそ改めて、阿弥陀さまのお慈悲のもと私自身が生かされていることに感謝しなければならないと思います。お彼岸を迎えるにあたり、いま一度、如来さま、そして御先祖や多くの有縁の方に対して掌を合わせて、感謝のお念仏をお称えいたしましょう。

令和3年9月
「ひかり 第739号」にて掲載

 

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