法話

宗祖法然上人二十五霊場(一)

 私たちの宗祖である法然上人は、今より約800年以上前に称名念仏のみ教えをお説き下されました。時代は平安末期、世の中は平安の貴族社会が崩壊し、武家社会へと大きく遷り変わった激動の時代でありました。そういった世情の中で宗祖のみ教えは、苦しみ多き人々にとって心の拠り所として受け入れられました。その後、800年以上を経た今日まで、そのみ教えは脈々と引き継がれ、そのお陰により現在の私たちがお念仏の御法縁に合わせて頂くことが出来るのであります。

 この度、皆さんにおすすめする「宗祖法然上人二十五霊場」の巡拝は、法然上人生前の御偉業を讃えた先人たちが、今より数百年も以前に始められた行であります。「二十五」という数については、法然上人の御命日である25日にあやかった、或いは二十五菩薩が阿弥陀如来に従って来迎されるから等の理由であると伝えられております。一説によれば、宝暦11年(1761)に順阿霊沢上人が法然上人550回御遠忌を機に発起し、数多くある霊場の中から25ヶ寺を選び出したことが始まりともいわれております。

 霊場は主に、浄土宗系(西山派・鎮西派)の寺院を中心にした巡拝でありますが、法然上人の御遺跡を巡る霊場であるということもあり、真言宗や天台宗など他宗派の寺院も含まれています。また、法然上人は御生前、京都などを中心に御活躍されていたということもあり、霊場は主に関西方面が選ばれております。その内訳としては、京都府が13ヶ寺、大阪府・奈良県が3ヶ寺、兵庫県が2ヶ寺、岡山県・香川県・和歌山県・三重県がそれぞれ1ヶ寺となっています。

 霊場の順番は、上人お誕生の地である美作誕生寺を第一番とし、ご入滅の地といわれる京都東山知恩院を、最後の第二十五番とされています。巡礼が始められた当時は、現在のように交通の便がよい訳ではありませんので、巡礼は大変至難な行でありました。そのためか、途中の順番は法然上人のご生涯の経歴とは関係なく、歩いて巡拝するのに廻り易いように決められています。例えば、第一番誕生寺の次の第二番は上人ご流罪の地である讃岐法然寺となっています。〔続く〕

平成21年10月
「第7回お念仏のつどい」記念冊子にて掲載
    
    


誕生寺の大銀杏

 

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